鬼門に関してもう一つ歴史的事実を考察してみましょう。
京都に目を転じると、京都御所は皇居の丑寅の方角、つまり東北の鬼門を欠けにして建立されています。これは先に述べたように東北は変化・停止・相続を意味しますから、天皇の血筋に欠けを生じさせ、藤原氏が自分の権勢をほしいままにせんとする陰謀だったと理解できるのです。
また、奈良の都、平城京から長岡京に遷都(784年)して、わずか10年で桓武天皇は都を京都の平安京に移しました。京都は長岡から見て東北の鬼門方位に当たります。これは明らかに遷都の失敗を意味しています。
大地の気は20年を1周期としますから、10年でまた東北の平安京に都を移したのは、それなりのやむにやまれない理由があったに違いありません。その理由は、東北の陰が終わり、陽の始めを意味しますから、桓武天皇は蝦夷征伐に失敗し、皇室では夫人や母が死に、皇太子は病に倒れ、内憂外患の事態を迎えていたので、その行き詰まりを打開しようとして、いわゆる東北の吉方位に遷都したわけなのです。
このように、風水学では家屋の丑寅(艮)の部分を欠けにしたり、増改築したりすると、相続人が欠け、それまでの家門が隆盛だったのものが、停止して衰退するために、みだりに東北鬼門をいじらないようにいましめているのですが、ただし吉方位は各人によって毎年変わるということも知っておいてください。 |