風水学では「水」の気を非常に重視します。小龍穴に当たる開析谷にはいくつかの河流が見受けられます。河流という水の気に蛇行して流れていると、その地の生気を守り育むと風水学では考えます。人体にたとえるなら、血管や経絡という気の流れる経路が大地における河流といってもよいでしょう。
藍染川、谷田川、神田川、平川、金杉川、渋谷川、内川、石神井川、目黒川、妙正寺川、野川、白子川、善福寺川など、みな程よく曲がりくねった形で蛇行して流れ、周辺の地域に水気を絶え間なくおよぼしているかのように見えます。
このようにクネクネと蛇行して流れている河川を風水学では「水泡」と呼び、地の気を散らすことなく活性化させるはたらきがあると考えますが、この何百という小龍穴である開析谷にたくわえられた地の生気を守り育んでいると判断できるでしょう。
少し離れた皇居の東方には利根川、江戸川、中川、荒川、隅田川などの一級河川、二級河川が流れていて、それも皇居を包みこむように走っていますから、これも水泡であり、皇居の地の気を守り育成している源泉でもあります。
さらに皇居の東南から南にかけて東京湾があり、東北に不忍池、北に小石川後楽園の池、西に新宿御苑の池、赤坂離宮の池をも擁し、皇居の周囲にある内堀と外堀を含めて、水気は十分なまでに揃っていることに気づかされます。
皇居の内掘、外堀にいたっては、単に文化財の保護という意味から現存しているだけではないでしょう。いまどき騎馬兵が旗指し物を揚げて、皇居に殺到することもありませんから、極端な話がお堀がなくても不便だというわけではないのです。お堀を残すことによって皇居という優れた大龍穴、いわば天然のパワースポットの地の気を散逸させないために、誰かの知恵がはたらいたのではないかとさえ思えます。
こうした地形・地勢を風水学では「砂環水抱」といい、希有の吉地とみなします。
「砂」とは龍穴(パワースポット)の付近の大地・丘陵を指し、龍穴がこれに左右から包囲されていれば、地の気を散らす風に吹かれても、地の生気は散じることなく、その地に凝集されます。
そのうえ、水気が曲折して緩やかに、その周辺の地を潤し、あるいは水池、海があれば、龍穴の秀気は洩れ出ることなく、枯渇せず、生き生きとして、繁栄をもたらす吉地となります。
つまり、こうした天然の吉地に居城を築いた太田道灌、そしてさらにそれを修改築した天海大僧正たちは、明らかに遠く唐から伝来した学問、とりわけ風水学を主は根拠にしたと違いないと考えます。
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