ご存じのように、明治維新以後に京都から東京に遷都しました。このような歴史的事実の背後には必ず重大な理由があると考えるのが道理です。まして、一千年以上も続いた皇室の住まいを移すからには、それなりの必然性があるといってもよいと思います。
 そこで、まず東京の地形・地勢を大局的見地に立って鳥瞰してみましょう。
 結論から先に言えば、東京は風水学からみると理想の地です。
 東京は西北の秩父山脈、西南の丹沢山脈に連なる入間大地、武蔵野台地、大宮台地、下総台地、多摩丘陵、相模原台地などに囲まれています。
 風水学では、台地の生気が流動し、蜿蜒起伏した地勢の地は草木・動物、そして人間に対して天然の活気を与え、生命力をもたらすはたらきがあると考えます。
 したがって、古来からそうした場所に都を定めれば、その国は大変な繁栄を遂げると説かれ、実際に中国史を眺めてみても、それはうなずくことができる事実なのです。
 東京から西北から西・西南にいたる山の手区域あたりに、いくつかの谷や坂が多いことに気づきます。風水学では、すぐれた土地は第一に起伏があって平坦でないという条件があり、その点からも東京は条件を満たした地といえます。
 そして、東京の地形を山地・丘陵・台地・低地というように標高に分けると、ポイントは皇居に帰着してしまいます。
 ですから皇居はいわば東京の臍というか、中心に当たる場所になり、これを風水学では「龍穴」と呼びます。龍は山脈の生気が躍動する形態を指し、その生気が一ヶ所に聚集した場所を「穴」と称します。
 いま、主要な坂に限ってあげてみれば、皇居の東北方に位置する上野の車坂、千駄木の団子坂、湯島天神の男坂・女坂、北の小石川富坂、小日向の切支丹坂、次に西北方に当たる日白台の日向坂、早稲田の八幡坂から、西方の神楽坂、弁天坂、三宅坂などがあります。西南に下ると、赤坂の紀尾井坂、南部坂、乃木坂。渋谷の宮益坂、道玄坂、権乃助坂があり、南に近い所では霞が関坂、愛宕石坂、魚藍坂などがあります。
 このほか実際には東京西北から南に及ぶ地域に広がる武蔵野台地の末端部には、何百という坂があり、それらの坂がみな皇居の一点に吸い寄せられるようにして散在しているのです。
 地理学的には台地の末端部の谷を開析谷と呼んでいますが、皇居の付近を見ると、北は神田の丸ノ内、南は溜池谷により区画される幅2..5〜3キロメートルの台地の突端に小さな開析谷が連なっています。
 北方から見ていくと、千駄木不忍谷、指ヶ谷谷、神田丸ノ内谷、溜池谷、古川谷、日暮里谷、駒込谷、呑川谷などです。   これらの開析谷は、それ自体小さな龍穴(小龍穴)になり、地の「気」が凝結したすぐれた地形であり、当然ながら発展した地域になります。